猫とたんぽぽ再び&感動に関するまとまらない考察/佐々宝砂
 
死ぬ。

だが私のまわりの人間の誰かが死ぬとしたら、死ぬとわかっていたら、私は、どうすべきかほとんどわからない。とりあえずさっき書いたように、私は死を避けるように努力するだろう。相手の生きた証をとっておこうと努力するだろう、だが相手は猫じゃない。人間だ。ビデオに撮って優しく微笑んでキスしてOKかというと絶対そんなことはないと思うのだ。とある一個の人間が生きた証とはいったいなんなのか、何をさすのか、あなたにわかるか? DNAだけではない。むろんビデオだけでは人間の生きた証にならない。

私はいま考えている。いま現在「考える」内容は私をわずかだが変化させるだろう。そんな予感というか快感がある。
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