垂直方向/リーフレイン
 
何かを創るときに使うエネルギーというのはどうもかなり種類が似ている。

詩がいったい何を記述するかといえば、どんな種類であれ、エネルギーなのだとすると、創る行為そのものも、すでに詩である。

垂直方向のエネルギーを記述しようとした田村の言っていたことはなんとなく、そういうことをベースにしているような気がする。
深度を得るということは、創作の精度を高めて、高めて、さらに次の何かに手を伸ばそうとする行為に似ている。
そして詩は、その手を超えて飛び出していく瞬間に、色濃く立ち昇る。



某所でここまで書いたら、「もしかしてエロですか」という突っ込みが、、なるほどと思ってしまいました。「エロですね」




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