詩と詩論(その2)/生田 稔
詩と詩論(2)
:*横瀬夜雨について
プラトンが言っているのですが。哲学は学習できるものではないとね。詩もそう言うことができるのではないかと。この詩人は生涯廃疾の身、つまり体がきわめて弱く、土蔵の中で詩を書きつつ短い生涯を送ったとある。他の芸術と違い詩は誰にでも手近ではないだろうか、数冊の書物そしてノートとペンで十分である。ともするとつまらない、それが詩の持つ本質的属性ではなかろうか。詩人ほどその人口が多いものはなかろうか。
横瀬氏の詩の中で私自身が最も感じたものを挙げよう。
夕の光
堤に萌えし陽炎は
草の何処に匿(かく)れけむ
翠(みどり)は空の名と
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