失語から生きる/岡部淳太郎
は、『書くまい』とする衝動なのだ」というのは、失語の状態にあってなお生きようとする意志のようにも思えてくる。確かに現代社会に生きる人々は、石原吉郎のシベリア抑留のような激烈な体験を持ちえないかもしれない。だが、体験というものがそれぞれにとって切実で個人的なものである以上、私たちは詩に向かうことが出来る。失語かそれに似た状態に身を置くことによって、詩の言葉へと一歩踏み出すことが出来る。それは日常から離れた視点を獲得しうるという意味において、生に対する態度でもありうるのだ。私たちはどんなにつらく恐ろしい体験に遭遇しようと、失語から生きることが可能なのだ。石原吉郎の詩と人生は、そのことを現代の人々に向かって無言で教えてくれているような気がする。
(註)石原吉郎「詩の定義」の引用は『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)から。
(二〇〇七年六月)
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