下着のプレゼント/深水遊脚
ろんだけれど、文化的にもそういう呪縛は決してよいことと思わない。創造が何かを発見した驚きをかたちにしてみせることだとすれば、発見がなければ創造もまた起こりえないのだから。パンチラ、ブラチラに過剰反応する感覚がどこからどうやって私のなかに入ったのか、思い当たることはいくつかある。それはけっこう長い間自分を縛っていたように思う。下着のプレゼントを実行したあと、その縛りから解放されたかどうかはわからない。でも、女なら何でもいい、パンツなら何でもいい、ブラならなんでもいい、というような感覚は消えたように思う。
結局、自分に合うものを求めるのが一番よいのだろう。下着の場合、ごまかしが効かない。身近で、信頼でき、いつも身に着けたい、そう思うものがベストだ。恋愛にも、ほかの様々な場面にもこれは当てはまりそうだ。覗き見だけではわからない要素は山ほどある。覗き見だけでわかった気になっている人には知りえない事がたくさんある。そのことがほんの少しだけわかった気がする。
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