詩と恋愛/プル式
の最中に「あの人の此処が醜い」という意識は(まぁ、ある種の人間は逆の様だが)消し去られている。僕が思うに、詩情というのはそういった「出来事(あるいは日常)」を切り取り、他の説明を削っていく行為だと言える面を有する。それを多くの人間は勝手に行い、また詩人と言う人間はある種意図的に行っている。そうしてそれをどの方向に「見せるか」によってのみ、違いが有るのではなかろうか。あ、詩人と詩人で無い人ね。
補足するなら、ベッドトークに置いても詩的な言葉は有効だと認識している。ついでに、詩的と比喩というものはとても近しいものだと思っている事を述べ、この記述を終わりにする。
あ、説明不足はいっぱいあるから好きに捉えてもらえればありがたいです。
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