批評という暴力的愛情表現/佐々宝砂
 
れでもなお、「后の位も何にかはせむ」を書いた根元的動機は、少女小説という特殊な分野と各々の作品への愛である。私は愛情なしに批評を書きたくない。私にとって批評を書くということは、愛情表現以外の何者でもない。他の人がどう思っているかは知らないが、私にとって、批評は私の表現手段のひとつなのである。

何に対する愛情表現かは、場合によって異なる。「后の位も何にかはせむ」という批評は、少女小説に対する愛情表現として書いた。200を越える私の書評は、そのほとんどが各々の書物への愛情表現として書いたものだ(一部例外がある)。「たもつさんの詩の印象」という未完のまま終わりそうな気配の一連の批評は、たもつという
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