松井浄蓮の垢を煎じて呑むべき人々へ/はらだまさる
高なんであって、他人の作品で評価出来るものなんて指折り数えるくらいのもんやろうと思います。自分の感性にそぐわない奴の作品なんかはっきりいって興味ないねん、ってのが姿勢として正しい。でも、そんな姿勢を馬鹿みたいにカッコつけて貫いてちゃ、ぼくの場合は作品を描いている本来の目的を置き去りにしてしまうようなことになることに気がついた。まぁ、この辺は人それぞれ色んな考え方があるんやろうけど、ぼくの場合は、まず読んでもらえなくちゃ描いてる意味がなくなってしまうと思ったんです。
一体何のための言葉やろう?と。ぼくと云う人間を伝えるためや。存在の証明や。自己探求や。自己確立や。君=世界との差異や。君=世界との
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