野本京子さんの思い出/本谷 建治
 
に内包された思いは
乙女の祈りとでも言うべき、本当に純粋なものだったのだと今は思う
だんだんと自由が利かなくなっていく自分の体と
その昔、いとしい人と一緒に階段を下りた思い出と
その思い出をいつまでも大切にしたい気持ちは
「諦念」ではありえない
ありえようはずもない
「もう少し耐える」というような悲壮感ではなかったのだ

私が野本さんが、かえらぬ人となったと知ったのは、
今年になってからであった。
また一人、私の心を潤してくれる人間が居なくなってしまった

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