続・風のうしろに風はない/佐々宝砂
 
いない。気の毒に、私の詩ときたら、私にふりまわされっぱなしなのである。もっといい詩人のもとに生まれたらよかったのにねえ、こんなへぼ詩人のとこに使わされて気の毒に、だなんて冗談ぽく思ってみることさえある。

読者としての私は、私以外の人の詩によってよくふりまわされる。「うわーこんなにあるよーレスしなくちゃー」というのが手始めで、「こんな重い思い受けとめられっか」とか「こんなかなしみの垂れ流しみたいなもんよこすな」とかそんなこと内心で呟きながら、私はせっせと詩を読む。なるほどそんなとき詩は業だねえと思わないでも、ない。


いとうさんは、せめて、「何故詩なんか書いてしまうんだろう」という文章の主語を「私たち」から「私」に変えるべきだ。世の中いろんな詩人がいるのだから。

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