僕はまっすぐに君を見ていたい/ひろっち
 
フレーズがないかと詩集を買ったり街へ出たり音楽聴いたりして、結局その後の文面は何らか影響を受けたコピー文なんだけど、内面の同意のもとに行われるそれであって、否定されうるべきものでもないと思う。
但し思うのは飽くまで1個人なのであてにもできない。



恋をするのが目的なのか、結婚するのが目的なのか、いい詩を書くことが目的なのか、いい小説を書くことが目的なのか、ただ満たされたいだけなのか、少しでも考えたことのある人はこの世の中に結構な人数いると思う。
でも世の中、会議のための会議が減らない現実は社会の停滞感の一因であると考える人は確実にいる。 (と思う)



最後に、
君は2
[次のページ]
戻る   Point(3)