空飛ぶ機械のための習作/はらだまさる
 
現状をまず受け入れたうえでどう生きるべきか、ということに尽きる。機械であること、機械になることを、時代に要請されていると感じる感性、というのはあながち大きく的が外れていないように、ぼくには思えます。
 ぼくらは、ある単純な方法で何かに対する怒りを次の瞬間に忘れられます。忘れないことも出来ます。何かに対して、また誰かに対してイライラしたとしても、そのことに客観的に気が付いたら一秒で、そのイライラを手放すことが出来ます。ほんの少しのイライラする感情をいつまでも持ち続ける、というのはそれに伴う精神的苦痛や疲労感、人によっては食欲不振、睡眠不足、即ち健康感の喪失、周囲の人への八つ当たりとか、そのことで人
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