空飛ぶ機械のための習作/はらだまさる
対する一般的(?かどうかはわからへんけど)な「冷たい」とか「冷酷」とか「無感情」とかのイメージじゃなくって、そのこころで優しさで、西洋なら愛でもって、東洋なら仁でもって、夢でもって、希望でもって、それらを動力にして、今まで、そして今現在においても複雑で抑えられないとされてきた、たくさんの名状し難い感情を自由にコントロール出来る自発的な機械なんや、という可能性です。魂は自分やけど、心や肉体は機械、みたいな。
少し前に投稿した、拙詩『拡張子』でも描いたけど「人間の感情は拡張子に如かない」というような思考が、この時代には重要なんやないかなぁと思っています。それは人間の可能性として、です。戦ってしまう
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