すべての言語は理解不能である。/ななひと
 
相手がその人の言葉を理解していることを保証しないのである。なぜなら人が言いたいことは、「言語」として相手に提供される。相手はその「言語」を、相手の「言語」で理解する。その上で、その人の言ったことを自分の「言語」の上では「わかった」と相手に表明するのである。
さて、ここで、本人の「言語」と、相手の「言語」の間には、本質的には何ら接点がないことを確認しておこう。もちろん同じ「ニッポンジン」であるから(?)「ニホンゴ」を身につけてはいるだろう(?)。公共教育によって、ある程度私たちは「共通」と思われる言語を習得させられている。しかし、それだけで、一人一人が、全く同じ(ここで言う「同じ」は、厳密に言って
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