「正しさ」についてのある思い出/熊髭b
 
は、

「きみの言うことはこうかもしれないね、いやぼくの解釈が違うかな
 こういうことなのかな?いや、こういう風にも受け取れるなあ、
 ぼくはこういう解釈だったらこう思うし、こっちの解釈だったらこうだなあ」

とあらゆる可能性に関して並列的な言葉遣いを検証されるひとだった。
そして、言葉は無限に続いていき
解釈の「正しさ」は、遠くに退いていく。
この体験を何と名づけよう。


学生当時の俺は、
話の要領を得ない人だなあ、
もっと明確に言ってくれればいいのに
と思っていたが、今になって思えば
先生の哲学的実践が言葉に現れていたように思える。

そして先生は、大学の体制に対して
最後まで戦い抜いた数少ない教授でもあった。


ためらいながら、躊躇しながらも言葉を紡ぎ続けるひとは
弱々しくも、最後まで言葉をあきらめない人でもあった。
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