喪失の朝/石瀬琳々
耳をすますと
遠く潮騒が聞こえる
ドアを開けば幻の海
白い波頭が立って
空はおぼろに霞み
「春だね」とつぶやくと
「春ね」と君が応える
潮風が弧を描いてゆく
君の長い髪がゆらめいて
振り向くと
指先は空(くう)をつかんだ
砂についた足跡をたどってゆくと
崩れた砂山があるばかりで
君の白い素足も見えない
割れた貝殻に足をとられ
指先に赤い血がにじむ
陶器皿のかけらが
粉々に砕け散る
一人の部屋
開け放たれた窓から
風だけが入って来る
陽が光る 踊りながら
ああ
もう何も思い出せない
あのドアが何色だったのか
君の名前さえも もう
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