夢みたい(親指1000字エッセイ)/佐々宝砂
傍観者のときもある。
ごくまれだが、「これは夢だ」と気づいて、夢の進行をある程度コントロールできることがある。明晰夢と呼ばれるこの手の夢が私はもっとも好きだ。たとえ夢のなかでもやりたいことができるのはたのしい。
明晰夢でもそれは所詮夢で、夢だから好きだ。でも明晰夢をみるにはコツがいる。現実に目覚めているときから、常に「これは夢かもしれない」と疑い続けなくてはならない。私はいま眠れない。眠れないこの現実も夢なのかもしれない。
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