「逃走」と「闘争」という語呂遊びを使おうと思って使えなかったひと/んなこたーない
だろう。
なんにしろ、「逃走」をおのれの信条とするとき、それを声高に主張するとき、
かれの心の内部には、苦い葛藤がなければならない。
「逃げるが勝ち」という言葉がありますが、前々からぼくは嘘じゃないかと訝っています。
というのも、たんに逃げ場がないときがあるからです。
逃げたとしても、たどり着いた場所が逃げる前と大差のないときもある。
この場合、あらたに逃げればいい、と口でいうのは簡単ですが、
安住のない人生がいつも「勝ち」であるかどうかは分からない。
結局のところ、逃げているつもりでも実際には全然逃げれていない、というのが実状のようです。
逃亡者の生活は決して愉快なものでも幸福なものでもない。
じゃあ愉快で幸福な生活はどこにあるのかといえば、
残念ながらそんなものは聞いたことがない、と答えるのが一番誠実な態度ではないかとぼくは思います。
しかしそれでもなお、「そうではない」と反論したい気持ちもぼくの中にはあります。
ただしそれは「愉快で幸福な生活」への希求のせいではなくて、
悲観的態度が常に孕んでいる美的な誘惑がぼくの癪にさわってくるからなのです。
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