哲学的人間/生田 稔
 
文章でも講演でも、「かもしれません」、「ではないでしょうか」という表現を使うことがある。相対する人の顔をよく見ていると、こういう表現はわりと抵抗なく聴けるらしい。
 モナドはすべて個性的である。自己主張が衝突するゆえんではないか。京都弁で言うならば「そらみんな自分ちゅうもんがあるのやさかい、意見がちごててもしょうあらしまへんがな。」となる。
 虫もまた意識あるモナドであること幾度も知った。アイロンをかけていたら青い細い尺取虫が私の手の甲を這っていた。丁度死について考えていたとこで、可哀そうになって手を差し伸べてやるとその差し伸べた手に上がってきた。それで立ち上がり戸を空け外に出してやつた。2セ
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