生きるのって苦しいばかりなんだろうか?/由比良 倖
 
 青年期(思春期の終わり頃?)になると、大抵の人は「さて僕は生きてる。ではどう生きようか?」という疑問にさらりとシフト出来るのだろうか? 「さて、でも、そもそも僕って生きてるの? 僕は何? 世界は何?」のままで立ち止まってしまった僕のような人間は、「みんな(社会で苦しんで)生きていますよね」とか「みんな幸せになりたいよね」とかいう一般論に、するりと参加出来ない。自分がお芝居をしているような気がする。「勉強して、人の上に立って、とにかく稼いで」という昭和風の父の価値観は、僕にはかすりもしなかった。
 太宰治もそうなんだよね。彼にとって、生きてることは当然。自分が社会の(末席にしろ)一員であることを
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