雨傘 -Parapluie-/墨晶
雑文
傘と云うものに偏愛がある。
わたしも大昔、滑り台の上から傘を広げ飛び降りた子供だった。
ロートレアモン、北園克衛、アレハンドロ・ホドロフスキー、彼らの黒い蝙蝠傘は未だ魅力に満ちている。
買っておけば良かった。竹を曲げた握りのコム・デ・ギャルソンの傘。骨が緑に塗装されたポール・スミスの傘。まだ販売しているだろうか。
陳腐だが、雨の日だけ連れ歩く愛人のような傘。そんな傘に出会いたい。
しかし、早速、冒頭のことばを撤回する。傘は盗まれるものである。吟味した上で購入した傘が盗まれる。傘を偏愛する事など、つまらない拘りなのだろう。つまり傘とは、身勝手な愛の途中に奪われる未練に満ちたオブジェクトだ、わたしにとって。
「 滅多なことでは傘は使わない。前世、オレ、イギリス人だったんじゃないかなあ 」と昔の同僚が云った時、心底軽蔑した。暴風雨のなか、透明のビニール傘をさしていたくせに。会社の傘立てにあった他人の傘を盗んだのだろう。
このようにして、雨傘は他人から他人へ旅して往く。
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