文章を書きたい人とその言葉を使ってみたい人/腰国改修
 
詩を書きたい人のなかに、時おり、実はこの人は文章が書きたい人なのではないかと思う人がいる。もちろん、散文詩と散文の境界を厳密に考えて言っているわけではないのだが。近頃は色々境界が消えて、わたしのような感覚は古いと言われそうだ。よい、悪いを言っているのではなく、時々そんなことも考えないとなという自戒の念も込めて。

また、この人はあきらかに、その言葉を使ってみたかっただけでしょう!というような微笑ましい人やフレッシュな人もいる。本人は目的達成で楽しく愉快だろう。

文章を書きたい人、その言葉を使ってみたい人は、実際、私の中にもいる。そして時々詩を書きたい人と喧嘩をしている。案外、詩人は、その中でも芸術家よりの人が、喧嘩っ早くて暴力的であることの理由が分かったような気がした。

え?芸術家よりって、詩人は芸術家ではないの?かと思う人がいるだろう。詩人が芸術家ではなくて、芸術家は詩も書けば彫刻も彫れば女も抱けば、酒も飲めば、なんなら勢いで男も抱くのではないか。え?なんか違う?違うくねよ、やかましい!表に出ろこのすっとこどっこい。
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