記憶を宿すこと/深水遊脚
 
 私はオリジナリティーという言葉をあまり信じていない。言葉は語り継がれるもので誰かが一人占めできるものではないから。それに誰かが作品として発表した言葉やものの考え方に似たものが過去にあったからといって、それだけでその作品が駄目だということにはならないから。それでもコピーが容易になって久しいいま、言葉にそれを発する人の記憶が宿っていることは魅力のひとつであると思う。魅せることは装いやメイクで表現され、文芸ならば推敲にあたる部分だと思う。「思う」と語尾につけるあたり、私に装いや推敲についての自信がないのであり、きっと書くものにも粗忽さが見えてしまっている。それでも書いたものに記憶が宿っているかを確認す
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